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浦和地方裁判所 昭和60年(ワ)837号 判決 1989年5月26日

原告

甲野太郎

被告

坪井義夫

右訴訟代理人弁護士

須田清

伊藤一枝

岡島芳伸

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一二〇〇万円及びこれに対する昭和五九年一二月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は肩書住所地で坪井医院を開業している内科医師である。原告の亡母甲野花子(明治四三年一月七日生、昭和五七年四月二九日七二才で死亡、以下「花子」という。)は、昭和四六年ころから昭和五六年九月被告の紹介によって大宮市医師会市民病院(以下「市民病院」という。)に転医するまで約一〇年間坪井医院にかかりつけのホームドクターとして継続的に被告の診療を受けていたものである。

2  花子の死亡に至る経過

(一) 転医までの経過

花子は、高血圧及び冠状動脈硬化症(冠不全)のため坪井医院に月二回位の割合で通院し、投薬を受けていたが、昭和五六年六月ころ食欲不振、倦怠感を訴え、同年七月一三日には被告の勧めに従って坪井医院の一日外来ドックに入って検査を受けたものの、異常はないとのことであった。右の外来ドックの検査を受けたほか花子は、同年七月中四回、八月中五回、九月は二一日までに四回被告の診療を受けている。

(二) 転医後の経過

花子は、昭和五六年九月二二日被告の紹介により市民病院に入院して検査を受けたところ、同年一〇月一三日ころ「悪性リンパ腫(非ホジキン、大細胞型、びまん型)」病期は第Ⅲまたは第Ⅳステージと診断された。

悪性リンパ腫というのは、リンパ組織に生ずる悪性のガンで、病気の進行度は第Ⅰから第Ⅳステージに分類されているが、もはや末期的症状で回復の見込みはないとのことであった。花子は、同年一一月一三日まで市民病院に、その後埼玉県立がんセンターに入院治療を受けたが昭和五七年四月二九日右悪性リンパ腫を原因とする肺炎により死亡した。

3  被告の責任原因

(一) 診断の手遅れ

(1) 悪性リンパ腫の初期症状の第一は、体表のリンパ節が痛みもなくはれてくることで、とくに左頸部が出やすい所とされ、そのほかの症状として、体がだるい、疲れやすい、体重が減る、食欲がすすまないなどがあるとされている。

(2) 花子について被告の作成した診療録の中に、次のような記載部分がある。

① 昭和五六年七月二八日左頸部に指頭大索状腫脹圧痛なし

② 同年八月一八日 食欲不振、全身倦怠感

③ 同年同月二〇日 左頸部に小指大抵抗圧痛なし

④ 同年同月三一日 食欲のない日あり、時々全身倦怠

⑥ 同年九月五日 鎖骨(頸部)リンパ節やや大きく二ヶ位触診

⑥ 同年九月二一日 左頸部リンパ腺指頭大二ヶ、二分の一大一ヶ、腹部小児手拳大索状奥深く抵抗あり、堅くあまり動かない。尚全身倦怠、食思不振、精査のため医師会病院に入院すすむ。腹部腫瘤を疑う。

(3) 被告が昭和五六年九月二一日市民病院宛に書いた花子についての「診断入院患者連絡票」には、病名として「(高血圧並びに冠不全)食思不振、胃腸障害」と記載され、必要とする検査事項一〇項目のうち「3消化管」「4肝・胆道系」にのみ丸がつけられ、「6血液・リンパ節」には丸がつけられていない。

(4) 右(2)の診療録の記載によれば、右(1)の悪性リンパ腫の初期症状である無痛性リンパ節腫大が、昭和五六年七月二八日には既に現れていたというべきであり、遅くとも九月五日までには前記診療録記載の症状からこれを疑ってしかるべきである。ところが、被告が精査のため市民病院への入院を勧めた九月二一日においても、前記診療録及び連絡票の記載から見ると、被告は腹部腫瘤のみを疑い、悪性リンパ腫を疑っていない。このように昭和五六年七月二八日遅くとも同年九月五日までには悪性リンパ腫の初期症状が既に現れていたのであるから、その罹患を疑い、精密検査等必要な措置をとっていれば、早期発見、早期治療により救命ないし延命が可能であった。悪性リンパ腫といえども、ステージⅠないしⅡの段階で早期に発見されれば、放射線療法や抗がん剤投与の化学療法により救命率ないし延命率は高いのである、その発見を遅らせ、治療を手遅れにさせたのは、被告の責任である。

(二) 転医先の選択の誤りと説明義務違反

花子は、被告の勧めにより昭和五六年九月二二日市民病院に入院し、同年一一月一三日に同病院を退院し、埼玉県立がんセンターに転院した。医師法二三条には「医師は、診療をしたときは、本人又はその保護者に対し、療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をしなければならない。」とあり、保健医療機関及び保健医療担当規則一三条には「保健医は診療に当っては懇切丁寧を旨とし療養上必要な事項は理解し易いように指導しなければならない。」とある。しかるに被告は、昭和五六年七月二八日から九月二一日までの間花子及びその家族に対し、花子の病状、診療経過等につきなんら説明をしなかった。もし前記のような病状につき説明があれば、原告は、花子を手遅れになる前のより早い時期に人的物的設備の整った埼玉県立がんセンターにはじめから転医させることができたはずである。

4  損害

(一) 花子は被告の右注意義務違反により以下のような損害を被った。

日本女性の平均寿命は80.18才であるから、被告の医療過誤がなかったならば、花子は昭和六六年三月まで生存可能であった。

(1) 逸失利益―国鉄共済組合年金 六三七万七四六七円

昭和五七年 六二万四七〇〇円

五八年 六四万円

五九年 六四万七〇四二円

六〇年 六七万〇五三四円

六一年 六八万六六二六円

六二年 七〇万三一〇五円

六三年 七一万九九八〇円

六四円 七三万七二五九円

六五年 七五万四九五三円

六六年(三月まで) 一九万三二六八円

なお、昭和五七年から昭和六〇年までの年平均アップ率0.024パーセントを乗じて昭和六一年以降を計算した。

(2) 逸失利益―国民年金給付金 三〇五万〇四五二円

昭和五七年 三〇万四三〇〇円

五八年 三〇万四三〇〇円

五九年 三一万一〇〇〇円

六〇年 三二万〇八〇〇円

六一年 三二万八一七八円

六二年 三三万五七二六円

六三年 三四万三四四八円

六四年 三五万一三四七円

六五年 三五万九四二九円

六六年(三月まで) 九万一九二四円

なお、昭和五七年から昭和六〇年までの年平均アップ率0.023パーセントを乗じて昭和六一年以降を計算した。

(3) 慰謝料 三〇〇万円

(二) 花子の相続人は、長男である原告のほか、二男A、三男B、長女C、二女Dの五名であるが、昭和五九年四月二九日、原告が花子の被告に対する損害賠償請求権を単独に相続することに全員が合意した。

(三) 原告は、被告の右注意義務違反により以下のような損害を被った。

(1) 葬儀費用 二〇〇万円

(2) 付添看護料 八〇万円(二〇〇日間、一日あたり四〇〇〇円)

(3) 交通費、入退院に伴う諸雑費 一五万円(大宮、宮原間往復交通費二八〇円の三〇日分、八四〇〇円、大宮、上尾間往復バス代五〇〇円の一七〇日分、八万五〇〇〇円、その他入退院に伴う身のまわりの品の購入代、看護婦に対する心付及び贈答品代の合計)

5  よって、原告は、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、以上合計一五三七万七九一九円の損害金の内金一二〇〇万円及びこれに対する昭和五九年一二月二五日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3(一)の事実中(1)ないし(3)の事実は認め、(4)は争う。同3(二)の事実中、被告が説明義務を履行しなかったとの点、転送先を誤ったとの点は争う。

4  同4(一)ないし(三)の事実は争う。

三  被告の主張

1  被告の花子に対する診療の経過

(一) 被告は、花子を昭和四六年初診以来、高血圧及び冠状動脈硬化症のもと適切に加療をしてきた。

(二) 昭和五六年六月下旬ころ、花子は被告に対し食欲不振で倦怠感があるというので、被告は花子に一日外来ドックで検査を受けることを勧めた。花子は、同年七月一三日、坪井医院の一日外来ドックに入って検査を受けたが、とくに異常は認められなかった。

(三) 七月二八日、花子を診察したところ、頸部に小指大索状腫脹が認められたので、「追跡の必要あり」と判断した。このため、被告はその後花子の腹部についてとくに細心の注意をもって念入りな診察を行った。

(四) 八月中はほとんど無症状に推移し、むしろ花子は食が良くなっていって来院したこともあり(八月二四日)、悪性リンパ腫を疑うべき所見は出ていない。

(五) 患者の全身状態に変化が認められたのは、九月五日の診察時であった。この日の診察により、腹部臍部左奥深くにやや異常のある抵抗を初めて触れ、頸部リンパ節のやや増大と小さな別の腫脹を認めた。この時、被告はなんらかの悪性疾患の存在を疑い、花子に数日中に必ず来院するように告知し帰宅させた。

(六) その後花子が来院したのは、九月一〇日、一四日の両日であったが、この時はいずれも腹部の抵抗を触れず、被告は精密検査の必要性について決断ができなかった。

(七) しかし、九月二一日の診察時に、腹部にはっきりとした腫瘤を触れたので、精密検査の必要を決断し、初めて花子に市民病院への入院を勧告した。

2  原告の主張する被告の責任原因について

(一) 診断の手遅れについて

原告が主張する時点に被告が花子の悪性リンパ腫罹患を疑っていなかったことは事実であるが、後日の組織検査等の結果罹患の事実が判明したとしても、その結果から遡及して結果論的に発見義務ありということはできず、診断時において内科臨床医としての水準において癌を疑うべき所見が認められない以上、被告に義務違反はない。

医師の診療責任は、診療のプロセスにおける責任であって、決して結果責任ではない。頸部リンパ節の腫脹原因は、支配領域の化膿巣によるもの、アレルギー体質、結核性、血液疾患その他多々あり、直ちに悪性リンパ腫を診断したり、その疑診のもとに精密検査(組織検査その他の医的侵襲を伴う検査)を実施すべきものではなく、むしろ短期間経過を観察するということが医師として通常行なわれることであって、非難されるべきことではない。花子の全身状態に変化が認められたのは、九月五日の診察時である。この日の診察により、腹部に異常がある抵抗を初めて触れ、この時悪性疾患の存在を疑い、数日中に来院するよう告知して帰宅させた。その後、九月一〇日、一四日の来院時には腹部抵抗を触知できず、精密検査の必要性について決断できなかったが、九月二一日の診察時に腹部にはっきりした腫瘤を触知したので、精密検査の必要を決断し、花子に入院を勧告したのである。花子の最終的診断名は非ホジキン型の悪性リンパ腫であるが、非ホジキン型の悪性リンパ腫は特有な外見症状をほとんど欠き、その確定診断はステージⅠ、Ⅱ期においては一般的な臨床検査によってはほとんど不可能とされている。しかも、腹部の異常について患者本人に自覚症状がなく、主病巣たる腫瘤の後腹膜にあったことも考えると、九月二一日以前において悪性リンパ腫を疑うべきであったとの原告の主張は現代の臨床医学においては医師に不能を強いるものである。市民病院に入院した上で、一般臨床検査、全身CT検査、細胞組織検査により悪性リンパ腫の確定診断に至ったものであるが、右診断が出るのに入院後約二〇日間を要したことからも判るように悪性腫瘤の診断そのものが困難なのである。

(二) 転医先の選択の誤りと説明義務違反について

一般論として、医師に説明義務があることは認める。しかし、説明義務の根拠は医師の倫理に求めざるをえず、医療の経過の中で、いつ、誰に、どのようなことを説明するかということは医師の裁量によらざるをえない。したがって、その不履行は倫理的非難の対象になるとしても法的非難の対象にならない。

転送すべき時期及び転送先についての判断は、主治医の裁量に委ねられるべきものであって主治医の判断は最大限に尊重されるべきである。被告が七月二八日の時点で経過観察という判断をしその後観察を続けた結果の総合的所見から九月二一日に市民病院への転送を勧告したことに過失はない。

主治医が転送を決意した時、その動機は一様ではなく、したがってどの医療機関を選択するかも一義的に定まるものではなく、医師の裁量による。また、転送先の医療機関も患者の受け入れを必ず承諾するとは限らない。本件において、被告は精密検査のために坪井医院に比較して充実した設備を有する市民病院への転送を決意したのであって、この判断に注意義務違反はない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(当事者)及び同2(花子の死亡に至る経過)の各事実は当事者間に争いがない。

二請求原因3(一)(診断の手遅れ)について

1  診断を確定するためには、入院の上精密検査が必要であるとの被告の勧告に従って、花子が昭和五六年九月二二日市民病院に入院して諸検査を受けたところ、約二〇日後の一〇月一三日ころ、検査の結果が判明し悪性リンパ腫、ステージⅢないしⅣの診断が得られたこと、悪性リンパ腫の初期症状としては一般にリンパ節(特に左頸部の)の無痛性腫大、食思不振、全身倦怠等が挙げられていること、被告が花子について作成した診療録には、転医勧告のなされた同年九月二一日に先立つ同年七月二八日以降の診察時(八月は七日、一八日、二〇日、二四日、三一日、九月は五日、一〇日、一四日)に右の初期症状に該当すると思われる症状の記載(具体的内容は請求原因3(一)(2)のとおり)が数か所(七月二八日、八月一八日、二〇日、三一日、九月五日の記載)に見られること、以上の事実は当事者間に争いがない。これらの症状が見られた以上その時点で即時に悪性リンパ腫の罹患を疑い、精密検査のための転医を指示していれば、早期発見、早期治療により救命ないし延命が可能であったのに、九月二一日までそれをしなかったのは、被告の診察上の過失であると原告は主張するので、この点について検討する。

2  <証拠>を総合すると以下の事実が認められる(争いのない事実を含む。)。

(一)  被告の花子に対する診療の経過

被告は、花子を、昭和四六年初診以来、高血圧及び冠状動脈硬化症の診断の下に加療をしてきた。

花子は、昭和五六年五月以降食欲不振、全身倦怠を訴えたので、被告は花子に対し坪井医院での一日外来ドックに入って検査を受けることを勧めたところ、花子は同年七月一三日一日外来ドックに入って検査を受けたが、検査の結果とくに異常は認められなかった。ただし、胃体部の脊椎の圧迫によりバリウムののりが不充分であったため、念のため市民病院に胃のエックス線撮影を依頼したが、その結果によっても異常は認められなかった。

同年七月二八日、被告は、花子の左頸部に小指頭大索状腫瘤を発見した。

圧痛はなく、また腋下、鼠径部のリンパ腺には肥大はなく、市民病院に依頼したレントゲン撮影の結果によれば、食道、胃、十二指腸にも異常は認められなかったが、食思不振、全身倦怠の訴えをあわせると「追跡の必要あり」と被告は考え、その旨を診療録にも記載し、経過を慎重に観察することとした。

頸部に腫瘤が生じる可能性のある病気としては、当該リンパ節の支配領域に生じた炎症、白血病、悪性リンパ腫、伝染性単核細胞増加症、サルコイド症、ビールス性疾患、結核性リンパ腫など多種のものがあり、その鑑別診断については、場合により精密検査を必要とするのであるが、検査には、医的侵襲を伴うものもあるので、被告は、精密検査の要否を判断するためまず経過観察を充分に行うことを決意し、以後花子に対し問診のほか全身(とくに胸部、腹部)の触診を念入りに行うようになり、これに伴い一回あたりの診察時間もそれまで五分ないし一〇分程度であったものを、二〇分から二五分程度に増加した。

同年八月二〇日花子は腹部膨満感を訴え、被告は同日花子の左頸部に小指大抵抗を、臍部の左に索状の硬結を触れた。しかし、同年八月二四日被告が花子を診察すると、同人は食欲は良好とのことで二〇日に臍部の左に発見された索状の硬結は消失していた。

同年九月五日、被告は、花子の鎖骨の上の左頸部に二個のリンパ節を触れたが、腹部に異常は認められなかった。被告は、今まで以上に注意を要すると判断し、経過観察を続行した。

同年九月一〇日、一四日、被告は花子を診察したが、腹部に抵抗は触れなかった。

しかし、同年九月二一日、被告は、花子の左頸部に腫瘍三個(指の頭大二個、その二分の一位の一個)、臍の左奥深くに小児手拳大の索状の腫瘍一個を発見し、花子は被告に対し全身倦怠感、食欲不振を訴えた。この時点で、被告は悪性の病気の可能性の疑いを深め、精密検査が必要と判断し、花子に市民病院への入院を勧めた。

(二)  市民病院入院後の経過

花子は、被告の紹介により昭和五六年九月二二日に市民病院入院後、同月二九日に頸部リンパ節の細胞組織検査を受けたところ、一〇月一二日悪性リンパ腫非ホジキン性リンパ腫、大細胞型のびまん型と診断され、一〇月一三日埼玉県立がんセンターにおいて全身CTスキャンを受けたところ腹部腫瘍は傍側大動脈リンパ節の腫大したものと思われる所見が得られ、以上から悪性リンパ腫、非ホジキン性リンパ腫、大細胞型のびまん型、ステージはⅢまたはⅣと診断された。その後花子は埼玉県立がんセンターに転院し治療を受けたが、昭和五七年四月二九日死亡した。同センターの三比和美医師作成の死亡診断書には直接死因は肺炎、その原因は非ホジキンリンパ腫、発病年月日は昭和五六年一〇月一三日と記載されている。

(三)  非ホジキン性リンパ腫、大細胞型のびまん型の特質

悪性リンパ腫は、病因は未だ不明であり、進行のしかたもあまり明らかになってはいないが、臨床的にホジキン病と非ホジキン性リンパ腫に分類されている。非ホジキン性リンパ腫は骨髄由来の病気で特有の外見症状が乏しいため、胸腺由来のホジキン病以上にその初期診断は困難であり、その診断は、はれているリンパ節の生化学的検査によらなければならないが、初発時に病変があまり進んでいないステージⅠやⅡのものは少なく、より病変が拡大した形で発症することが多い。アメリカの学者セシルの報告によれば、非ホジキン性リンパ腫の診断がついたときは病変の進んだステージⅣであるのが半数以上である。また一〇万人に五人程度、悪性腫瘍の中の約二パーセント程度の数の少ない病気であるため、この病気に遭遇しない医師も多く、一般の内科の開業医にとり、非ホジキン性リンパ腫の早期診断は非常に難しい。

3 診断上の過失の存否の判断は、診断時点における状況の全体を基礎とし、その時点における医療水準を基準としてなされるべきであって、後日精密検査、病理解剖等の結果初めて判明した診断名を前提としてその徴候の存否のみを遡及的に探索することによって単純にこれを判定すべきものではない。右2に認定の診療経過に照らして考えると、左頸部のリンパ腫の原因となる病気は多種類のものがあり、食欲不振、全身倦怠についても同様であると考えられること、したがってこれらの症状は悪性リンパ腫に特有の初期症状とはいえないこと、非ホジキン性リンパ腫という病気は、症例が少なく、特有の外見症状も乏しく、その診断はリンパ節腫瘍の生化学的検査をまたなければならず、検査には医的侵襲を伴うこと、またセシルの報告によれば、病変の進んだステージⅣの段階で診断がつくことが多いこと等からすれば、被告が花子に対し入院検査の勧告を決断した昭和五六年九月二一日以前の同年七月二八日から九月五日までの診断時において、前記のような症状が見られたとはいえ、その具体的状況から精密検査の要否を判断するため経過観察にとどめ、九月二一日の所見により初めて入院検査の勧告に踏み切ったことをもって、医療水準を逸脱したものということはできない。精密検査の結果初めて得られた診断を前提として、その初期症状として挙げられている二、三の症状が事前に現れていたからといって、それだけに即時に精密検査のため転医を指示しなければならないとの原告主張は、いわゆる結果論にすぎないというべきである。

三請求原因3(二)(転医先の選択の誤りと説明義務違反)について

医師に法的な説明義務が具体的に発生するのは、手術のような患者の身体に対する医的侵襲行為を行うに際し患者の承諾を得る前提として手術の内容や危険性を説明すべき場合及び診療後に発生が予見される危険について患者に対し対処方法を説明すべき場合というべきである。本件において、前記認定のように被告は花子の身体に対し手術のような医的侵襲行為を行っておらず、また昭和五六年七月二八日から九月二一日までの間の時点においては被告は花子が悪性リンパ腫に罹患していることは未だ認識しておらず、精密検査の要否について経過を観察していたのであるから、その間原告主張のような説明義務(法的義務としての)が具体的に発生していたとはいえない。また被告が検査のための転医先として、埼玉県立がんセンターではなく市民病院を選択したことがその時点において不適切であったというべき客観的理由は、本件全証拠によってもこれを認めることができない。

四以上のとおりであるから原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官白石悦穂 裁判官田中哲郎 裁判官窪木稔は転補のため署名、押印することができない。裁判長裁判官白石悦穂)

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